2023/9/29

「阿達慶」と辞書登録してから何年経っただろうか、「あ」と1文字打つだけで、予測変換には「阿達」「阿達くん」「阿達慶」と愛おしい文字が羅列する。

 

「愛してるよりも名前を呼びたい」、私の好きな詩人がそう言っていた。「愛してる」と「阿達慶」はどちらも「あ」から始まる。今から無作為に選んだ国民100人に「あ」と打ってもらったとして、きっと「阿達慶」より先に「愛してる」と出てくる人の方が多いだろう。その中で、私の携帯で「あ」を打てばいちばんに「阿達慶」と出てくることは、何よりもあなたの事を愛している証明だと思う。

 

この文字の羅列はいつまで保たれるのだろう。わたしは永遠に阿達くんのために生きられるのだろうか。つくづくこちら側は身勝手な生き物だ。ついこの間、いくつかの辞書登録を削除して、好きだったものが無関心に変わってしまったことを実感した。べつにその好きだったものがなにか大きな過ちを犯したわけでもなく、ただただ自分の中にどれだけ火種を撒いてもひとつも引火しなくなってしまっただけ。中学生の頃、学校行事でキャンプファイヤーをしたときに、大きすぎる火柱に驚いたものだけど、火力が強ければ強いほどその勢いを保つのは難しく、あっという間に燃え殻になってしまっていたことを思い出した。

 

阿達くんのことを好きじゃなくなりたくないな、そう思いながら「永遠に欠けない月」と自称したアイドルの誕生日が中秋の名月、そして満月だということを思い出し外に出てみた。すると外に出た途端ポツポツと雨が降り始め、少しだけ明るくなった、月が光っているだろう方角を見られただけで、月の姿を見ることが出来なかった。

 

うまくいかないな、今月はなんだかつまづくことが多かった。阿達くんの誕生日があることがわかっていても、早く終わって欲しいと思ってしまった9月だった。それでも阿達くんは、画面越しからずっと満月のように、長い夜を照らしてくれていた。今日だって、見られなかった月の代わりに、画面の中で中秋の名月よりももっと綺麗な月がいつもの笑顔で夜を照らしていた。

 

阿達くんは「月は太陽が無くては光れないから、みなさんは太陽」だと言う。太陽はキャンプファイヤーの炎と違って、あと50億年燃え尽きないらしい。阿達くんの言うように私が太陽なのだとしたら、あと50億年は阿達くんのことを好きでいられるということ。それならば、君を好きじゃなくなりたくないと心配をするよりも、そのうちのたった数十年しかない期間に、どれだけ阿達くんのことを愛せるのかを心配していたい。

 

50億年後、もし私のスマホが奇跡的に残っていたとして、「あ」と打てば並ぶ愛おしい名前の羅列を見た生き物は、愛してるよりも大きな愛のことをきっと知らない。それならば今のうちに、私も、阿達くんも、照らせるうちに、光れるうちに。

 

阿達くん、阿達慶くん、阿達くん。