2024.1.15

阿達くんの文章が定期的に読めることが決まった嬉しい日。私が偉い人ならばきっと祝日にしてしまうけれど、偉くも賢くもないわたしだから、今日を少しだけ毎年特別にしてあげることに決めた。カレンダーアプリに記念日をひとつ増やして、今日をいつまでも忘れないように。


阿達くんの暖かい言葉に何度救われただろう?指を折って数えてみると指が足りなくなるくらい何度も救われる日が何度もあった。阿達くんの言葉には裏側など存在せず、貫くような真っ直ぐな愛は心の奥深くを暖かく満たしていく。大袈裟かもしれないけれど、色のない世界に色を与えたのは阿達くんだと言われても納得してしまうくらいに、阿達くんの言葉は世界を豊かにするものだと思う。


年末は、そんな阿達くんの言葉を得られる場所が無くなってしまったことに耐えられずにいた。阿達くんを素敵だと思う要素の中に、「言葉が素敵なことろ」と書き連ねるくらいには、阿達くんの言葉が私にとってはとても重要だった。あの不安な時期や、それこそ大切な場所がひとつなくなってしまうことが決まった日だって、阿達くんが私のことを言葉のベールで包んで、守ってくれたから余計に傷つかず生きていられた。だから、あなたの言葉を得られる場所を失ってしまうことは大きな心の柱をひとつを失ってしまうことに等しかった。そんな泣きじゃくったあの日の私に、今日のブログを読ませてあげたい。


こんなに愛情のこもったブログを世界で一番好きなアイドルが贈ってくれた事実に、どんな感謝の言葉を送ればいいのだろう?どんな賞賛をすれば足りるだろう?どれだけ愛を伝えれば満足できるだろう?
今まで学んできた教科書にはそれを解決する方法は載っていないし、自分の辞書に加えてきた言葉にも満ち足りた言葉はなくて、もどかしくて仕方ない。どうかひとつ、新しい言葉を作れないか?とばかり考えているけれど、そんなことは出来ないから。ならば自分の心の1番近くにあった言葉を連れ出して、阿達くんの名前と一緒に届ければ、少しは満足いくはずだと文章を書き始めた。見切り発車の愛だけれども、そんな愛すらも大切に受け止めてくれる確信のあるアイドルだから不安なく書き続けられる。 


アイドルへの愛はいつだって一方通行。形も歪で重たくて。だから「受け取りすぎない」もしくは「受け取らない」選択をするアイドルがいるのは仕方ないこと。だけれども、その愛を受け取れることは間違いなくアイドルの才能の一つであると思う。自分の好きなアイドルがその才能に長けていることだけでも十分に嬉しいことなのに、それをしっかり受け取って、磨いて。まるで綺麗なもののように扱っては私たちの見える場所で返してくれるアイドルだったら、もうそれ以上の喜びは無い。


だからいま、自分の好きなアイドルがそういうアイドルだということを改めて実感できたことに感動している。たまたま好きになったアイドルがここまでだとは思っていなかった。いや、どこかで確信していたからこそずっと心の中にいたのかもしれないけれど、その確信よりも遥かに想像以上のアイドルだった。


私は阿達くんのことを神様のお気に入りだと思っているけれど、そんなお気に入りの阿達くんを好きになれた自分も、もしかしたら神様が気にかけてくれているのではないかと思うことが出来ている。こんなに大きな愛を受け取ってもいいと認められたのは、とても嬉しいことで、誇りに思う。


あのブログを読んだ人が口を揃えて、阿達くんの名前と「素敵」「アイドルの鑑」「幸せになってほしい」と言ってくれているのを見ると、嬉しさで涙が出てきてしまう。普段、それぞれが好きなアイドルに向けている愛情を、一瞬だけでも阿達くんの方向に向けてくれたことが本当に嬉しい。
阿達くんに向けられた言葉はどれも美しく、画面の中に花畑が広がっているように思う。この花をひとつの花束にして渡すことが出来たとしても、まだ足りないと思ってしまうくらいの愛を受け取った今日だった。阿達くんに心からの賛辞を贈りたい。そして、本当におめでとう!